わさび、おひとつどうぞ。

御聖訓に曰く、「天晴れぬれば地明かなり 法華を識る者は世法を得可きか」(観心本尊抄、254p)

アンチに担がれて、まんざらでもない姿はみっともない。(追記あり)

創価学会内での立ち位置にどんなに温度差があろうとも、
少なくとも内部の人間であることを自負する人は、
外部アンチ創価さんに担がれるような、みっともない姿は
プライドにかけて、あってはならない姿だと思う。



アンチ創価、公明党批判、いろいろあるとは思いますが
個人においていろんな考え持っていること自体を咎めはしません。
仕方がないことだと思っています。
ここはしっかり前置きしておきます。


しかし、これらをブログ記事にするとともに
少なくともランキング投票という、一種の「賛同を得る」数字の真っただ中にあるわけですよ。
アンチな記事はアンチが喜ぶ。当然の成り行き。
そして、相対的にそのサイトは「神輿」となって担がれ続けるーーー
よくあるパターン。


何年もブログ村・創価をみている皆さんも感じていると思う。
それで結果的に人気を博することで
何やら大きな勘違いを起こす人間が、たまにいるわけです。



これまでのパターンでいえば、
書けばウケる。ランクは上がる。
少しづつ、少しづつ、快感にも似た勘違いが起こるようです。


きっかけは小さな小さな愚痴、ということもあります。
書けばスッキリするでしょう。
そのスッキリが「あなた」で終わればそれもヨシとしましょう。
しかしそれをネットで世界発信。「あなた」で終わらないのですよ。
自覚をお持ちなさいね。
信心が崩れるきっかけは些細なことであることは、
大聖人も先生も、口酸っぱく語っておられますね。


自分のブレーキを、他人にもかけるな
ということですよ、「結果的」にね。
ブログなんぞの世界は、そういうことなのです。



さて、少し余談ですが
そんな「担がれお上りさん」がムキッと反論をする一つのパターンとして
「オマエもポチっと欲しいのだろう」といったような、みているこっちがクスっと笑うような、ランキング脳にまみれた姿を晒すことがある。
語るに落ちたかのような痛々しい姿でしょう。




追記。


ほーら湧いてきた(笑) 励まされてヨカッタですか?


さて、あえて本件とは別物、一般指導(ご金言)として貼っておきますね。
愚人に褒められたるは、第一のはぢなり』(開目抄 237ページ)



冒頭に書きましたが、もう一度書きますよ。


〝創価学会内での立ち位置にどんなに温度差があろうとも、
少なくとも内部の人間であることを自負する人は、
外部アンチ創価さんに担がれるような、みっともない姿は
プライドにかけて、あってはならない姿だと思う。〟


以上です。


実にわかりやすい。「人気ブログ」になった、そのなれの果て。

最初は、しおらしく
やがて注目を浴びるにつれ、どんどんと勘違いを引き起こすーーー
何度も見てきた、ネットブロガーの「なれの果て」である。


元々控えめで、それほど思ったことをストレートに言うタイプではない人物なのかもしれない。
しかし、ネット上の「もうひとつの自分」が、その人を変えてゆく。
それはまるで麻薬のように。
ネット上の注目が、快楽と依存がもたらすのだろう。


前置きはここまで。



ーーーさて、某サイト。
公明党批判ネタが出始めた。
公明党を絡めて創価批判も。
予想された展開。


中身は?といえば
主観だらけのスカスカ。
勿論、個人が何を言おうとご勝手だが、
そこまで結論付けるのなら、それなりに人を納得させるよう
もっとお勉強しましょうね。



さて、人気ブログ上位に味をしめたはいいが、
これまで「あなた」を押し上げた多くの読者の想いは、そこではなかったろうて。


一方で
神輿は軽いほうがいいーーー
そんなアンチ創価さんたちの、シメシメといった声が聞こえてくる。


創価アンチブロガーだろうが、
逆に、ネット幹部だろうが、
これもブログ村・創価の、「いつものパターン」のひとつだろう。


ーーーだからいつも思う。
ブログ村・創価の価値なんて、
一利の裏に、百害ぐらいのもの。



どんどんこれから転がり落ちる姿を
できれば見たくはないものだ。


ネットで教義などへの質問に、「あなた」が答える必要はない。

銀行業務をマヒさせる方法がある。


カンタンな話だ。
100人を雇い、それぞれ全員に新規の口座開設をさせる。
口座開設時の入金は100円でもいい。
アルバイト代は日当一万円でも十分だ。
が、あくまで個人の意思として個人の口座である。


本気で銀行業務に支障を及ぼす、悪意が詰まった行為に
どれだけの費用をかけても成し遂げたいのであれば安いものだ。


勿論、こんな業務妨害は絶対にしてはならない。する者もいないだろう。
これは単に理論上の「喩え」である。


ーーーいったい何が言いたいか?


要は、「時間(手間暇)を取らせること」を手段とし、
本来あるべきもの(仕事や志)を妨害する目的ことの喩えである。




インターネットにおける創価学会(員)をとりまく環境には、
昔から多くのトラップが存在する。


さっさと結論を言おう。
ーーー教義や活動に関する質問に「答える」必要はない。


そんな時間を「割かされる」ことが、
どれだけ不毛なことかは後になってわかるだろう。
無限ループの罠にまんまと陥ってしまう前に、華麗にスルーする勇気を持とう。
「あなた」が答える必要はない。


日ごろ、「魔」がどうたら力説するその足元を見よ。


善意、正義にも「魔」は存在する。
「紛然と競いこる」の意味は深い。



当ブログはずっと言い続けているはずだ。
「ネット幹部」は要らない。


自己満足は「勝利」ではないと添えておく。